日本人はみんな宗教二世か宗教ハイブリッド?ネガティブに捉える必要はない理由

日本人はみんな「宗教二世」か「宗教ハイブリッド」? ネガティブに捉える必要はない
近年、「宗教二世」という言葉がメディアで頻繁に取り上げられるようになった。主に新興宗教の家庭で育ち、親の信仰が強制的に押し付けられ、虐待や経済的困窮、精神的苦痛を経験した人々の問題を指すケースが多い。確かに、犯罪行為や人権侵害を伴う宗教団体は論外だ。そうした深刻な被害は社会全体で防止し、支援すべきである。
すべての「宗教二世」をネガティブに捉えるのは行き過ぎだ
しかし、すべての「宗教二世」を一括りにネガティブに捉えるのは、行き過ぎではないか。日本人の多くは、厳密な意味での宗教二世ではなくても、何らかの宗教的影響を受けて育っている。いわば「宗教1.5世」や「にわか二世」、あるいは「宗教ハイブリッド」だ。
たとえば、親がクリスマスを祝えば、子どもも自然にケーキを食べ、サンタクロースを信じる。つまり一時的にキリスト教に様変わりする。
親が先祖崇拝をし、お盆に墓参りすれば、子どももそれを習慣とする。
ハロウィンも西洋のお盆と言われている。この期間中は、日本人も西洋チックなお盆を祝う。
初詣で神社にお参りし、お守りを買うのも同じだ。これらはキリスト教、神道、仏教の要素が混ざった行動だが、日本人の日常に溶け込んでいる。
調査でも、多くの日本人が「無宗教」と答えつつ、こうした宗教的慣習を実践していることがわかる。日本人の宗教観は、特定の教義に縛られるものではなく、習慣や文化として受け継がれる柔軟なものだ。
子どもは身近な大人の影響を受けて育つ。それが自然だ
結局、子どもは身近な大人の影響を受けて育つ。宗教に限らず、価値観や生活習慣は親から子へ伝わる。これは自然なことだ。欧米では、無宗教や無神論を公言すると、道徳的に未熟や幼稚と見なされるケースさえある。一方、日本は多様な宗教要素をミックスしつつ、無宗教を自認する人が多い特殊な国だ。
欧米の宗教二世は、日本のように一律ネガティブではなく、多様だ。移民背景が強いため、統合とアイデンティティのバランスが鍵になる。ネガティブな体験もあるが、多くの場合、信仰は支えとして機能し、トラウマ克服のプロセスも進んでいる。社会の世俗化が進む中、第二世代は柔軟に適応していると言える。
こうした独自の宗教観は、時に「ガラパゴス化」と批判される。人と少し違うと排他的になりやすい風土もある。
大切なのは自分で選ぶ責任だ
ポイントは、自分でその考え方を選び、生き方を責任持って続けているかどうかだ。人を苦しめたり、迷惑をかけたりせず、真っ当に生きていれば、何もやましいことはない。他者に押し付けることもない。
ただ静かに、心の中の灯火として持っていればいい。その灯火がブレずに自分を導き、周囲に温かな影響を与えられれば、それで十分だ。寒い夜の焚き火のように、そっと寄り添う存在でいい。
宗教二世で辛い経験をした人を「他責思考」と一蹴するつもりはない。トラウマは確かに存在する。大人になっても、それを乗り越えられない苦しみはあるだろう。しかし、いつまでも過去に囚われ、立ち上がらないのはもったいない。
道で転んだ人がいつまでも立ち上がらずに拗ねているのは自然だろうか?子供なら仕方がない。まして大人はどうだろうか?
過去を引きずる気持ちもわかる。でもいつまでも、後ろばかり振り返っていたら前に進めるだろうか?そんなことをしているとどこかでまた躓く。
好きなら続ける、嫌なら別の道を選ぶ。それが大人の責任だ。
結論:日本人の誰もが宗教二世の側面を持っている
日本人の宗教観は、ハイブリッドで柔軟だ。でも興味深いのが、広く浅く行い、深入りはしたくないというのが本音だ。だからこそ、誰もが少しずつ「宗教二世」的要素を持っている。ネガティブに捉えず、多様性を認める社会になればいいのではないか。

